MORE Trumpet

音楽好きな自営業者でトランペッター。いつでもトランペットが吹けるように防音室をDIYしました。

波乱の幕開けとなった家族旅行

元旦の早朝6時に自宅を出発

羽田空港に着陸し、東京駅から新幹線で軽井沢駅に13時到着。軽井沢に住む叔母に家族で会いにきた。


叔母の自宅には13時半頃に到着した。久しぶりの再会なので会話も盛り上がり酒も進む。近隣市に住むいとこ姉夫婦も来てくれて楽しい時間を過ごしていた。


だが16時を過ぎた頃にそこにいた全員のスマホの緊急アラームがけたゝましく鳴った直後に地震


長野県は震度4であったが結構な横揺れが長く続いた。体感時間では30秒くらい揺れていたような気がする。


能登半島あたりが震源地だったそうだが、長野県南部でもこんなに揺れるんだと怖くなった。


この日に新幹線で東京に取った宿に戻る予定だったのだが、北陸新幹線は当然のこと運行見合わせ。


仮に運転再開したとしても、半端ない遅延と混雑が予想できたので、今日は東京の宿には行くことができなくなった事を告て、急遽ネット予約で軽井沢に宿を取った。


新幹線切符の払い戻しと翌日の切符を手配するために、18時頃に軽井沢駅に行くと人でごった返していた、新幹線は富山東京間のみで運行は再開していたが2時間以上の遅延と貼り出されていた。


新幹線の払い戻しは後日できるとの事なので、その場でネットから翌日の切符を予約し券売機で発券することができた。


そんな慌ただしさもあったが、翌日はしっかりと軽井沢銀座を観光することができ、野沢菜お焼きも食べることができた。


翌日、乗車できた新幹線は30分ほどの遅延はあったが無事に乗車することが出来た。

だが先に走る便が詰まっているために何度も何度も停車を繰り返し東京まで2時間以上も掛かった挙げ句、降車予定していた東京駅にはさらに時間が掛かるため在来線への乗り換えを協力してくれとアナウンスがあったため上野駅で下車。


ひとつ前の駅での下車のため払い戻し手続きを改札を出る前にするようにとアナウンスが新幹線内であった。

しかし超満員の乗車客が改札窓口に集中するのだから、ここでも待たされる事になるのだろうことは想像がついた。

もちろん仕方なく長蛇の列に並ぶこととなった。


ヘトヘトになりながらも日本橋付近の宿に22時頃やっと到着。

部屋でテレビをつけると羽田空港JAL機が炎上している映像が流れている。


まさかとは思ったが、その数日後に帰る6日の便が欠航になるとJALからメールが届いた。しかも振り替えの案内も無く一方的なキャンセルになるとだけメールでは伝えてある。


JALにはネットも電話も繋がらない。軽井沢での新幹線同様、大勢の人が各地に行く手段を探すだろうから、とにかく我々家族も福岡に帰る手配をしなければならない。


博多駅までの新幹線はグリーン車で空きがあったが大人4人だと結構な出費になる。


それでも帰る事を優先するにはやむ終えないと諦めかけていたその時に、成田空港発のLCC航空の空席を見つけ予約する事ができた。


この文章はその機内で書いている。映画も見れず音楽も聴けずに暇だったのだ。お陰で時間を費やすことができた事に感謝しよう。

 

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写真は日本橋で撮った東京の道路元標、各地の終始点を計測する標識。1205.2キロ先の福岡まで無事に帰れますようにと願いを込めて撮影。